1907年(明治40年)制定の詰襟金釦制服

明治40年制定の制服

制帽が1905年(明治38年)に現在の校章「二蛇両翼一星」に改められ、続いて1907年(明治40年)に制服改正を行い、詰襟、金釦の学生服とした。それまでのズボンの白い側章を除いて代わりに帽子に二本の白線をつけることとした。

現在の男子制服は、この時導入されたものとほぼ同型である。

夏服は上下とも純白の服とした。昭和初年頃にはこれに代わり霜降小倉の制服を着用するようになった。

小学校の児童が洋服を着るようになったのは昭和に入ってから、中等学校でさえ地方の中学校などは大正末期であったことと比べても、いかに時代の先端をいく服装であったか容易に想像できる。

太平洋戦争中は物資難などの理由から、国防色(カーキ色)折返し低襟服、戦闘帽姿の生徒が多くなった。

昭和40年代に入ると、服装規定に従わず制帽を着用しない者も多くなり、生徒総会などで議論が重ねられ、1969年(昭和44年)、着帽が自由化された。