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「柔道部物語」というマンガをご存知でしょうか。昭和60年から平成3年までの間、週刊ヤングマガジン(講談社)で連載された、文字通り“柔道マンガ”で、連載当時から柔道経験者をはじめ多くの読者から熱い支持を得た作品です。
作者は新潟商業のOB、小林まことさん(昭和52年卒業)。映画化もされた「1・2の三四郎」や、テレビドラマ・アニメ化もされ大ヒットした「What's Michael?」などの代表作で知られています。「柔道部物語」は小林さん自身、柔道部に所属し、その経験を元に執筆された作品で、作中で舞台となる岬商業高校は、新潟商業そのものです。
そこで平成20年11月某日、小林まことさんの事務所で、お話を伺ってきました。
※ 紙面の都合上掲載できなかった部分を加筆した完全版を、ホームページ上に掲載いたします。
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小林まことさん |
─ さっそくですが「柔道部物語」で描かれる、“セッキョー”や“ザス・サイ・サッ”の挨拶などは、実際に新商柔道部で行われていたのですか?
もちろん、あの通りでしたよ。いや、マンガの方は実際より少し優しく描いたかな(笑)。
─ 作中ではセッキョーの後にほとんどの1年生が部を辞めてしまいましたが、小林さんは辞めようとは思わなかったのですか?
もちろん思いましたよ(笑)。でも、怖くて先輩や先生に“辞める”なんて言えなくて、結局最後まで続けました。他の部員も同じで、実際自分達の代でも途中で辞めたのは一人だけでしたね。
─ やっぱり柔道が好きで入部したんですか?
いえいえ、実は高校に入る前から漫画家になろうと思っていて、本当は部活なんかやりたくなかった。でも当時の新商では男子は運動部に入らないといけないと言う雰囲気があって、そこで“練習時間が1日2時間だけ”と言われたので、柔道部に入ったんですよ。ところが、確かに練習時間は2時間だけど、柔道を2時間もやったらクタクタになってあともう何にもできない。それくらい柔道の練習って濃いんだよね。結局マンガを描くなんてできなくて、柔道一色の高校時代でした。
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『柔道部物語』より “セッキョー”の場面 |
─ 卒業後に上京されて、翌年にはもう「格闘三兄弟」で漫画家としてプロデビューされるわけですが・・・。
実は、高校入る前から怪奇モノのマンガを描いていて、上京後も怪奇モノを持ち込んだんだけど、全然採用されなくてね。そこで柔道部の経験を元にしながら格闘モノを描いたら、これが採用されて評判も良くてね。その後この「格闘三兄弟」を連載化したのが「1・2の三四郎」になりました。
─ そうすると、柔道部経験が、漫画家・小林まことを誕生させた、とも言えそうですね。
もちろん、その通りですよ!作品のネタとしてだけでなく、仕事が忙しくてとにかくキツかった時も「あの合宿に比べればこれくらい!」と思って乗り切ったりね。柔道部の経験が、その後の人生にも大きく役立ってます。
─ そして「柔道部物語」を描かれるわけですが・・・。
当時はとにかく「What's Michael?」が売れて、忙しい頃でね(笑)。そんな時期に週刊ヤングマガジンの編集部から読みきりの依頼があったので、新商柔道部の“セッキョー”をマンガにしようと企画を考え始めたら、どんどん面白くなってきて、「悪い、これ連載で描かせて」とこっちからお願いしました。
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『柔道部物語』より |
だから最初は、毎日きつい練習や先輩からの理不尽なしごきとか、そんな普通の高校の部活動を描いてました。まぁ、自分自身の自叙伝みたいなものですね。
連載始めた時は、周りからも「柔道モノなんか人気出ない」と言われてね。同じ時期に描いていた「What's Michael?」が、漫画家の仕事として描いていたのに対して、「柔道部物語」は、自分が楽しみながら描いていた、自分自身の趣味みたいな感じでした。
それがある時、柔道家の古賀稔彦さんから「柔道部物語を読んでる、面白いのでこれからも続けてください」と言われてね。古賀稔彦さんに言われたんならもっと続けるか!と思ってね。その頃から作風も主人公の成長物語に変わっていきましたね。
20年以上前の作品なのに、今でも春頃になると文庫本の増刷があるんですよ。これだけ長い間読んで頂ける作品も珍しいと思います。今の若い子達もきっと何か共感してもらってるんだと思います。