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新商と日報 百年を超えた因縁

副会長 高橋 道映(昭和36年卒業)

副会長 高橋 道映

母校・新潟商業と勤務する新潟日報は浅からぬ因縁がある。その縁は百年を遙かに超えた明治の初め、新潟の発展を願い校歌の三番にある「あしたに進取の精神を高め」とばかりに鼓舞した先人によって結ばれている。

新潟日報は昭和17年の戦時統合で再スタートしたが、ルーツは明治10年4月創刊の新潟新聞である。創刊の辞で「新潟は開港五港の一つ。あらゆる物資が集積し外国人も来港する。みんな新潟に注目している。しかし新潟の人たちは旧習に甘んじ競って地位を進めようとする気性に乏しい。この新聞が開化進歩とともに盛んになることを希望する」と叱咤している。

この新潟新聞の設立に力を注ぎ、初代社長になったのが鈴木長蔵(1846-1909年)である。鈴木はやがて新潟商業の創始者となる。鈴木と並ぶ因縁が天下に聞こえた尾崎行雄(1858-1954年)である。尾崎は創刊三年目の明治12年に新潟新聞の主筆として慶応義塾の福沢諭吉の命を受けて着任する。社長の鈴木が知己の福沢に要請した人事である。尾崎もまた、新潟の沈滞ムードに対して社説で「県民の知識、見聞を広めて後年、日本の元気は新潟にあり、と言われるようにしたい」と檄を飛ばしている。

尾崎は新潟発展の条件として実業家の結束と人材育成が急務と説き、経済団体と附属学校設立の構想を打ち上げた。これに鈴木が共鳴し、明治14年の北越興商会、16年の付属新潟商業学校として実現する。現在の新潟商工会議所と県立新潟商業高校の前身である。尾崎は学校創立を見届けないで新潟を離れるが、興商会長となった鈴木らが尾崎の意志を継ぎ設立の資金を集め、一方で初代校長にすべく東京商法講習所(一橋大学の前身)卒で小千谷出身の斉藤軍八郎を招くなど教師陣の充実に奔走した。

尾崎の後の新潟新聞の主筆に其浦勝人(1854─1929年)が就任する。鈴木が再度福沢に依頼した人材で尾崎も其浦を推薦した。其浦は大分出身の慶応義塾卒業で、商業学校の規則草案作りに全面協力した。

明治16年10月30日の新潟新聞に新潟商業学校設立と生徒募集の広告が掲載された。授業内容は「算術」「経済」「商法」「簿記」「税関規則」など。11月18日出願締切り、20日に入学試験。11月26日、生徒16人、修業年限1年6ヶ月で授業を開始した。東京、横浜、大阪、神戸、長崎に次ぐわが国六番目、悲願の商業学校の誕生であった。

鈴木は回船問屋を営み第四国立銀行の設立にかかわり、新潟─長岡間に川汽船を就航させ、新潟市長や衆議院議員を歴任、新潟商業会議所の初代会長も努めるなど新潟の発展に尽くした。

尾崎はその後立憲改進党創立に参加、明治23年の第一回総選挙に当選、以来25回連続当選し護憲運動に活躍「憲政の神様」といわれた。雅号は「咢堂」と称した。

其浦も大隈重信らと立憲改進党を結成、第一回の総選挙に当選、以来15回連続当選し衆院副議長や通信大臣をつとめるなど活躍した。

開国したもののいまだ眠りから覚めない新潟に「目を覚ませ」と言わんばかりに世論喚起の新聞を旗揚げし、経済振興へ学校を創設した先人がいた。日報と新商の礎を築いた当時の熱い思いが伝わってくる。この因縁を大事にしたい。

新潟日報は平成19年、源流から130年の歴史を検証した。そして創業の原点に返って社を挙げて地域と共に歩む思いを新たにしたのである。


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